デッドボールPの楽曲大量削除の件と公序良俗の基準

久々に、ちょっと長いの。


始めに宣言しておくと、デッドボールPの書いた曲は音楽としては非常に高いレベル&完成度のものだと思う。デP自身が書いたオリジナル楽曲の完成度、楽器としての初音ミクの歌唱力(というより、不自然でなく歌唱させる調整力)、歌曲の量産力、音楽性の幅広さ。んで、ぶっちゃけファンです。
その高い才能と素晴らしいソフトウェアと環境とを崇高で潔癖なことには使わず(いや、使ってんのかもしれないけどw)、下品で下劣なことに使ってしまう頭の悪さ(褒め言葉として)が最高にステキだと思うし、是非見習いたいと思う。


これまでにも、5万以上の再生数や多くの歌ってみた(人間による二次歌唱)というリスペクトを受けながら、公序良俗に激しく抵触する歌詞内容ため、大人の都合によってボーカロイド・ランキングからは【名誉の除外】を受け続けてきたデPの楽曲が、どうやら大量に削除された様子。
断片的な情報を紐解くと、「権利者による削除申請」を受けての削除とのことで、その権利者が誰なのかについての明快な答えはどこにもない。
一応、当事者・権利者ではない第三者が権利者を騙って削除依頼を行い、それを確認することなく運営が削除遂行した、ということでないのだとするなら、「クリプトン(初音ミクの権利者)による削除申請を、ニコニコ動画運営が受け入れて対処が行われた」という理解でいいだろう。
もちろん、前者の「権利者ではない第三者による削除依頼」の可能性はゼロではないのだが、そういう形の荒らし行為については、別の機会に譲りたい。


ニコニコ動画は「公序良俗を害するもの」については削除するという確固たる運営基準を元々持っている。また、クリプトンが用意している初音ミク利用規約にも「キャラクターのイメージを損なう公序良俗に反する利用についての拒否(意訳)」という方針がある。
元々、デP自身も「いつ削除されてもおかしくない」「どこまでなら許容されるか」を探っていた様子もあり、今回の削除については「権利者に含まれそうな対象について、問い合わせも抗議も行わない。既に公開した削除済み音源を自分は再UPしないが、第三者が再UPすることまでは禁止しない。今後もニコニコ動画をメインで活動する」と宣言している*1
デPが「いずれこうなっても不思議ではない」という確信犯的な振る舞いでいた様子であることと、極めて冷静な対処(判断と姿勢の明確化、炎上/祭り化を防ぐための呼び掛けなど)を行っているため、これらの状況が伝われば、問題はそう大きくはならないだろう、と思われる。
つまり、当人が納得するなり対応についての指針を示している以上、これについて当事者ではない人間がどうこういうのは筋違いだ、ということだ。



ただ、「公序良俗違反の明確な基準」については、これはまた別の問題となってくる。


まず、ニコニコ動画では動画・絵画・写真について、「性器・乳首などが見えるものはアウト」という基準を持っているようで、たびたび投稿されるそうした「劣情を催す動画」のうち、性器・乳首などが見えないものについては、それがテレビ番組のポロリ動画だろうがAVの一部分だろうが、削除はされない。実写以外のMADや同人イラスト的なCGなどでも同様で、扇情的であっても性器・乳首の露出がないものは、削除されずに残るものが多いようだ。

また、クリプトンはVocaloidを使って作られた楽曲の内容に、初音ミクというキャラクターをかぶせていないものについては特に制限は行っていないのだが、初音ミクのキャラクターが前提となっているキャラクターソング、キャラクター画像が登場する動画(おそらく、広義には同人誌も含まれるのだろうけど)については、「著しくキャラクターのイメージを損なう描写」をしないよう、呼びかけてはいる。


ここまではいい。


この問題の核は、「では、どこまでやったら公序良俗に反するのか?」という基準と、それを誰が定めるのか? という方向に進んでいくのではないかと思う。
今回のデPの削除対象曲は、実は動画内に初音ミクを模したキャラクターの静止画は登場するが、それらはいずれもニコニコ動画の基準となる「性器・乳首の露出」はない。視覚的には削除基準に相当しない内容となっている。
一方、歌詞の内容は「扇情的な何かをリスナーに連想させるよう、示唆する」という曖昧なものが多い。かなり直接的な表現に近いものもある一方で、ストレートにそうした下品な用語を使った歌詞はほとんどない。つまり、受け取る側の判断によって、下劣な内容を連想する「こともできる」という作り。
デPの曲ではしばしば「アウトwwww」というコメントが飛び交っていたけれど、そこには「ここから何かを想像した、あなたの心がアウトです」と見透かされているようないやらしさ(褒め言葉として)があった。


これは、ちょっと脱線するけれど「差別用語に差別的な意味を嗅ぎ取るのは、差別用語を使う側ではなくそれを聞く側である」というのと似ている。ネットの差別用語事件では(ちょっと古いけど)「味噌煮込みコアラ」というのがある。検索すると出てくると思うので詳細は割愛するけれど、可愛いと思って「味噌煮込みウドン+コアラ」で「味噌煮込みコアラ」というハンドルを使っている人に対して、「味噌煮込みとは、精神薄弱/知的障害者を揶揄する差別表現であり、ハンドルネームとしては不適切」という批判をする人がいた、というような話。
このエピソードの核は、まさに「差別的な意味を孕んでいるかどうかを決めるのは、差別する側ではなくて差別を感じた側である」ということを浮き彫りにしている。
これはイジメ問題などにも援用できる話で、「虐めている側は自分がしていることをイジメだとは思わない。虐められている側がイジメを受けていると自覚したときに、初めてそれはイジメとして認知される」と言うことが出来る。


話を戻すと、「公序良俗に反する行為は控える」というのは社会全般にとって共通の意識として確かにある一方で、「では、どこまでやったら公序良俗に反すると言えるのか?」という明確なボーダーは、今以て確立されていない。
極論を言えば、カリフォルニアでは晴れた夏の日に上半身ビキニのおねいちゃんがそのへんをウロウロすることは珍しくないが、イスラム圏では熱波の夏でも女性が公共の場でブルカを脱ぐことは公序良俗に反する。
これは文化の差、宗教の差、社会意識の差の隔たりを、できるだけ大きなところで比較しているため極端に見える。
だが、両者はそれぞれの個々の社会の許容するボーダーラインの中では、それぞれの基準を持っていると言える。が、それぞれが異なる基準を持っているが故に、両者が両者ともに納得できる基準が共有されているとは言えない。

ニコニコ動画では「性器と乳首が露出してなければ、まあok」という明確な基準を持っているが、歌詞についての基準は持ってこなかった。
歌詞についても、今後は明確にそれとわかるものであれば削除されるのかもしれないが、「明確にそれとわからない、曖昧なもの」については、誰が何を根拠にどういった権限で削除を行うことになるのか。これは、この先も繰り返し言われることになりそうな気がする。


遠からず、児童ポルノ規制法の類が再改正される運びになると思われる。この中で、「子供のように見える登場人物に公序良俗に反する行為をさせるもの」はすべからく違法になる、という案があるらしい。商業商品はもちろんのこと、もちろんこれはこうしたネット上での動画・静止画の公開にも適用されていくことになるだろう。
ではこれも、「誰が何を根拠にどんな権限で」という話になると思うのだが、ある人の絵柄を見てどこまでが子供のように見えるのか見えないのかっていうのは、それこそ判断者の主観の問題になる。「頭と胴体の等身比率が1:6以下の場合、登場人物がバストB以下の場合」とか、そういう細かい「第三者が検証・批准可能な基準」を設けて……ということにもなりそうな気がするけど、それって……。


ああ、また脱線した。
要するに。公序良俗に反しているかどうかは、判断者の属する社会と基準によって変化するが、基準を明示せずに「基準に基づく判断」を下すのは、「後から出来た法的基準に基づいて、過去の案件を判断する」という「法の遡及の禁止*2」から逸脱することになる気もする。
公序良俗に反する」と「差別的」というのは、権利者・弱者を「傲慢な強権者」に変えてしまう魔法のミラクルワードでもあるわけで、それを根拠に削除などを行う場合は、十分に共有できる根拠と判断理由の開示をしないと、合意を得にくいのでわないか……というお話でした。


唯一セーフだったと言われた「シュークリームのうた http://www.nicovideo.jp/watch/sm1750914」は、実際のところ削除の対象外だったらしい。では、この曲とその他の削除された曲の線引きはどこでされたのか? というのは、批判・非難とは別に、ちょっと知りたいなと思うところではある。
最新曲「木枯らしの朝 http://www.nicovideo.jp/watch/sm2062273」の公開直後に削除があったということなので、木枯らしの朝とシュークリームのうたを比較すると、その削除基準が見え……見えてくるかもしれないし、目が曇って何も見えないかもしれないが(^^;)



ともあれ。
デPにおかれましては、今後もニコニコ動画で見る人によってはアウトに見えるエッジの効いた曲をばんばん連発していただきたいなと期待する所存です。
当事者じゃないからこそ気楽に勝手に言っちゃうけど、自分でブレーキ踏んだらデPじゃないよw






PS.
今回の一件で、デッドボールPの判断と姿勢について、当人が早い段階で宣言したのは、初音ミクSNS「はつねぎ」内でのことだった。多くの楽曲著者、歌い手、その他が参加するはつねぎは、ニコ動・ピアプロmixiとは別の意味で、大きな存在だと思う。
実はこれがニコニコ動画に欠けている部分かもしれない。匿名性の保障は2ちゃんねるから続く伝統と言えるし、僕はそうした匿名性の保障が「立場や肩書き、実生活への影響」を最小限にしつつ、いろいろな試みに手を出す後押しになっているという意味で、価値ある理念だと思う。
その一方で、「動画公開以外で著者の同一性(連続性)を保障する」という方面に、ニコニコ動画はめっぽう弱い気がしなくもない。
まあ、何もかもヤレというのも酷な話だし、「雑談は動画上のコメントで」というのがメインのサービスでもあるわけで、そのへん、必ずしも連携しているわけではない複数のCGMサービスが連動し合って「社会(と言ってしまっていい気がする)」を構築しつつあるというのも、けっこうおもろいなと思った。

*1:この宣言は初音ミクSNS「はつねぎ」内のデPの日記で、1/17 17:13行われた公式宣言。

*2:新しい法律によって、それが違法ではなかった時代の事件を裁いてはいけない。という司法の基本概念らすい。